
ベネズエラ たった二人の女性の決断と「幸せへの道」が国を変えた
南米にあるベネズエラは、石油産業が発達している一方で貧富の差が激しい国です。IVSS(社会保険庁)の汚職が横行。これが原因で、クーデターや暴動が発生していました。
そこで、オードリ・カブレラ(幸せへの道協会の総代表)とルディー・ロドリゲス(女優)の二人の女性が、国を変えようと決断しました。ルディーは、「人を最も傷つけるのは不道徳。だから道徳を変えようと決断した。」と語ります。
二人はまず、「幸せへの道」の本を、市民、政治家、軍人に合わせて16万冊くばりました。次いでラジオの全国放送で「幸せへの道」を宣伝。最高裁長官、選挙委員会、国会、州知事、大統領に面会し、幸せへの道を知らしめました。大統領府の職員にはセミナーも開きました。





そしていよいよ、IVSSにも「幸せへの道」を使って改革を実行。IVSSでは、すでに死亡した人の年金を着服したり、IVSS監督下の病院では、患者のための薬を闇商人に売却して患者が死亡するなどの不正が横行していました。
そこで、まずIVSS幹部職員にセミナーを行いました。なぜなら、汚職が上から下へと流れるように、道徳も上から下へと変えていけると考えたからです。次に、IVSSの税金監査員、IVSS監督下の病院職員にもセミナーを行いました。

その結果、「自分の義務を果たそう」「信頼される人になりましょう」「どのような違法なこともしてはいけません」がスローガンとなりました。なんと4万5千人が、幸せへの道のセミナーに登録しました。そして、それまで月に5ドルだった年金支給率が、40倍にもはねあがったのです。
いまでは教育省、国防庁、学校にも配布されています。軍の参謀庁にいたっては、自ら幸せへの道をくばっています。最終的には、190の都市と行政機関に「幸せへの道」がくばられました。距離にして69万平方キロメートルの地域に、「幸せへの道」が広まりました。
IVSS長官からのメッセージ
「この『幸せへの道』には、時に、壁よりも固い想像上の障害を克服する力がある。」
ルディー・ロドリゲスからのメッセージ
「手段があるなら、それを使ってください。どんな理由があろうと、決して、あなたの力を過小評価しないで下さい。あなたには手段があります。それを使ってください。」


2004年12月4日 ウクライナの民主化を影でささえたハバード氏の技術
ウクライナは、1917年ロシアとの戦争に敗れて以来、ロシアの支配下にあった。しかし、国民は民主化を求め続け、ついに2004年11月21日、ウクライナ初の民主選挙が行われた。
大統領候補者は二人。人権を踏みにじるエリート主義者のヤヌコビッチ氏と、草の根運動を続けてきた改革派のユシェンコ氏である。しかし、選挙前から、すでに政府による不正が仕組まれていたため、表向きはヤヌコビッチ氏が勝利する結果となった。


だが、これに国民は納得せず、選挙のやり直しを求める国民と警官とがぶつかりあい、暴動が起き、大混乱と無秩序が発生した。そこで、アナトリーとバレリーという二人の人物が、ウクライナを真の平和と民主化へと導くために、L.ロン ハバード氏の技術を導入した。


彼らが最初に使った技術は、混乱と無秩序をおさめるための「ステーブルデータ(基となるデータ)」であった。この場合のステーブルデータは、「ユシェンコこそが、真に選挙で選ばれた大統領である」という事実である。これを国民に知らせることからはじめた。そして、11月23日には、ユシェンコ氏自らも、自分が真の大統領であることを宣言した。これは、マスメディアによって、世界各国に報道された。

そしてアナトリーとバレリーが次に使った技術は、再選挙を求める人々を内部で対立させ、崩壊させようとする人物の動きを止める技術だった。これには「サードパーティ」の技術を使った。また、再選挙を求める組織の中心リーダーの動揺を取り除くため、「ロケーショナル」という技術も用いた。
人々の勢いに押された政府は、志気をそぐ攻撃をしかけた。ロシアのパブロフ研究所と協力して、40人の人々を精神病患者にし、市民を装って暴動を起こさせた。再選挙を求める運動を解散させようと試みた。これに対し、アナリーとバレリーは、「反社会的性格者を発見し、処理する」技術で対抗した。この技術によって、人々に暴動を扇動する人々はすぐに発見し処理され、混乱は、たちまちに鎮静されていった。
これらの動きに対抗するため、国務省は、「集会を開くことは違法である」との宣言を出した。これに対し、アナリーとバレリーは、「真実のデータ」を適用した。軍事政権下で、50年間、国民に隠され続けていた「ウクライナ憲法」を徹夜で印刷し、国民に大量に配布した。このウクライナ憲法には、「思想および抗議の自由」がはっきりと明記されていた。つまり、集会を開くことは、国民に保障された権利であるという真実のデータを明らかにしたのである。


そしてとうとう、12月4日、最高裁判所は、選挙の無効とやり直しを宣言した。そして、新たに行われた選挙では、ユシェンコ氏が圧倒的勝利をおさめ、大統領に就任した。

この選挙に特に貢献した人々を讃える表彰式には、160人の人々が選ばれ、アナリーとバレリーも、ユシェンコ大統領から表彰を受けた。



そして彼らは、大統領の任命による人権研究所の設立を依頼された。二人がつくった人権研究所では、人権を学ぶためのコースが行われ、1000人の人権オブザーバーが国中に派遣された。そして、ユシェンコ大統領は、人権保護を確固たるものとするために、全土に、人権保護指令を発布した。こうして、ウクライナ全土に、人権と民主がもたらされた。
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